Online Seminar on Philosophy and Meaning in Life
人生の意味の哲学オンライン研究会

科学研究費基盤研究(B)「「人生の意味」の分析哲学的研究と価値の哲学」(代表:蔵田伸雄)。本研究会の世話人:森岡正博、山口尚。

「人生の意味の哲学」に関連するテーマをめぐって、Zoomにて公開のオンライン研究会を行ないます。参加されたい方は、下記のリンクから必ず事前登録をしてください。「人生の意味の哲学」については、蔵田伸雄・森岡正博編著『人生の意味の哲学入門』(春秋社、2023年 https://www.amazon.co.jp/dp/4393333950)をご覧ください。

Contact: morioka[a]waseda.jp

第1回

2025年12月20日(土)10:00-12:00頃

森岡正博

「はじめに:本研究会の趣旨」

山口尚

「『浮雲』・『行人』・『このゲームにはゴールがない』――人生の意味の哲学のひとつの試み」

Zoom事前登録(必須)
https://list-waseda-jp.zoom.us/webinar/register/WN_TOeqJnGtS-CUf3YV0q4n0Q

要旨(山口尚): 
 「生きていても仕方がない」と思われる瞬間がある。こうした瞬間には人間にとって大事な何かが問題になっているだろうから、哲学的な思考はこの種の出来事を考察すべきだと言える。とはいえ、「生きていても仕方がない」という文言で問題になっていることは、〈善〉や〈正しさ〉といったいわば代表的な倫理的価値とは種類において異なると思われる。むしろ、ここでの「仕方がない」を掘り下げることは、〈人生の意味〉という(〈善〉や〈正しさ〉をはみ出す)価値の探究に繋がると思われる。本発表は、「生きていても仕方がない」と思われる瞬間を取り上げながら、人生の意味の哲学に一石を投じることを目指す。
 だが具体的に何が論じられるのか。「生きていても仕方がない」と思われる瞬間の典型は、自己の最も大切な希望が実現しなかったとき、言い換えれば自己実現に挫折したときである。このタイプの事柄については拙著『人間の自由と物語の哲学』(トランスビュー、2022年)で論究したので、本発表でも手短に触れはするが、踏み込んで論じることはしない。むしろ本発表では――「生きていても仕方がない」と思われる瞬間の別の典型例として――愛するひとが自分のことを本当に愛しているか分からないなどの事態、あるいはより一般的に言えば、《自分は偽物の生を生きているかもしれない》という事態を取り上げる。例えば私(山口)について言えば、私は自分が本物の哲学者であり真の意味の哲学に取り組んでいることを誇っているが、(ときおり不安になることとして)私が取り組んでいる哲学はまったくまがいものであって、私は哲学者として偽物の生を歩んでいるかもしれない。いや、こうした可能性(すなわち私が「哲学」と思っているものがじっさいには哲学でも何でもないという可能性)は払拭できないものとして存在している。そして、その可能性が現実であった場合には、私が自らの生に与えていた意味は大いに損なわれることになる。こうした「本物/偽物」をめぐる問題は古田徹也がその作品『このゲームにはゴールがない』(筑摩書房、2022年)で、他者の心というテーマに焦点を合わせながら、粘り強く探究している。本発表は古田の同作を読み解き、そこから最も重要な(と私に思われる)教訓を引き出し、〈人生の意味〉にかんする理解を深めることを試みる。かくして本発表は、全体としては、古田の『このゲームにはゴールがない』の読解の企てとなるだろう。他方で、それはほぼ確実に〈人生の意味〉をめぐる含意を有するので、それを引き出せるよう努めたい。
 ――ちなみに本発表では近代日本の小説がいくつか取り上げられる。意欲のある参加者はあらかじめ読んでこられるといいだろう。具体的には二葉亭四迷の『浮雲』、そして夏目漱石の『行人』が取り上げられる。